文化について
日本固有の「文化」問題とは、言うまでもなく、
- Greek culture (ギリシャ文化)/Greek civilization (ギリシャ文明) を、「自分のもの」にできていない
という問題です。
Greek culture (ギリシャ文化)/Greek civilization (ギリシャ文明) は、
- Western culture (西洋文化)/Western civilization (西洋文明)
- Modern culture (近代文化)/Modern civilization (近代文明)
の基盤となっているので、Greece (ギリシャ) を「自分のもの」として吸収できてない内は、それらも「自分のもの」にはできないし、その結果、「東洋的伝統」の枠に籠って、視野の狭い思考/振る舞いをせざるを得なくなり、発展性が大きく毀損されたままになってしまいます。
また、「思想」においても、世界史を概観すると、
- Greece (ギリシャ)
- India (インド)
- China (中国)
の3つが、「世界3大思想(圏)」(三思)、「世界3大哲学(圏)」(三哲) であることは、誰もが認めるところでしょう。
そして日本は、歴史的/伝統的にIndia (インド)/China (中国) の影響は受けて来てはいますが、Plato (プラトン)/Aristotle (アリストテレス) を中心とした、世界史的に最重要な思潮と言えるGreece (ギリシャ) については、文化と同じく「自分のもの」に出来ていません。
このように、Greece (ギリシャ) を「自分のもの」にできないと、日本は、文化面のみならず、思想/哲学面でも、いつまで経っても「一人前」「完成形」に至ることはできない訳です。
ついでに、もっと踏み込んで言ってしまうと、日本/東Asiaでは、周知の通り、前近代における思想に関しては、「仏教」と「儒教」が2本柱となって来ましたが、この2つは、直接的には互いに関連性が低い訳ですが、しかし、実はそれぞれ、内容的にPlatonism (プラトン哲学) と密接に関連しています。
つまり、日本/東Asiaが、Plato (プラトン) を中心としたGreek philosophy (ギリシャ哲学) を吸収して、思想の「3本柱」体制を構築/確立することは、(単なる「1本追加」ということではなく) そうした従来の「東洋思想」を「補完」して、その真義を炙り出すことにも役立つと同時に、日本/東Asiaの「東洋的」な思想の歴史 (思想史) を「完成」させることにも繋がり、同時に、Platonism (プラトン哲学)/Greek philosophy (ギリシャ哲学) をより深く理解することにも貢献するといった、「大きな相乗効果」も期待できる訳です。
なお、一般人の観点から、この「3本柱」「三哲」の内、どれが最も優れているかをあえて述べておきますと、Platonism (プラトン哲学) と仏教の比較では、「世俗の社会/政治への関心」の度合いから、Platonism (プラトン哲学) の方が優れていると言えますし、Platonism (プラトン哲学) と儒教の比較では、「思想の具体性/体系性/一貫性」の度合いから、(複数人の手による断片的な情報しか残らない儒教に対して) Platonism (プラトン哲学) の方が優れていると言えます。
加えて、仏教と儒教には、それぞれ「戒律の縛り/負担」「儀礼の縛り/負担」がのしかかることになり、これが社会実践上の足枷になる面があることも見逃せません。
したがって、一般人の観点から言えば、これら「3本柱」「三哲」の基本的な関係性は、
- Platonism (プラトン哲学) がmainで、仏教と儒教がそれを補助/補強/補完する役回り
といったものになることが、望ましいと言えます。
では、どうすればGreece (ギリシャ) の文化/思想/哲学を、「自分のもの」として、日本に定着させることができるのか、それについては、かつて古代日本が、India (インド) の文化/哲学/宗教である仏教を、どうやって取り入れ、「自分のもの」として定着させたのかを、考えれば良いでしょう。
第1のpointは「習合」です。
すなわち、Greece (ギリシャ) の文化/思想/哲学を、日本神道と「習合」させることで (「神希習合」)、かつての仏教のように、それを「自分のもの」として、主体的に吸収/定着させることが、可能になる訳です。
そうした「神希習合」の神道 を、ここでは、
と呼んでいます。
厳密に言うと、Greek culture (ギリシャ文化) のみならず、それと関連したRoman culture (ローマ文化) やEgyptian culture (エジプト文化) も丸ごと吸収することが望ましいので、「拡張神道」も、細かく見ていけば、
- 羅馬神道
- 希臘神道
- 埃及神道
といったものの複合した形になるでしょうが、基本的には希臘がmainなので、「拡張神道 ≒ 希臘神道」と捉えてもらって構いません。
Greek culture (ギリシャ文化)/Greek mythology (ギリシャ神話) に関しては、この拡張神道 (希臘神道) で対応できますが、Greek philosophy (ギリシャ哲学) に関しては、不十分であり、「補完的な別枠」を用意する必要があります。
Greek philosophy (ギリシャ哲学) に関しては、今日の我々にとって重要は部分は、やはりその倫理学/政治学/目的論の思想が近現代にも活きている、Plato (プラトン)/Aristotle (アリストテレス) です。
そこで、第2のpointとして、彼らをまとめて扱う枠組み/platformを、彼らの学園Akademeia (アカデメイア)/Lykeion (リュケイオン) から採って、
- Akeion (アケイオン)
と、ここでは総称しますが、
- そんな彼らの思想体系/枠組みを支える原初神/根源神であるDemiurge (デミウルゴス)/不動の動者を、神道の原初神/根源神であるアメノミナカヌシと「習合」させる形で、神道 (拡張神道/希臘神道) と接合させる
というのが、Plato (プラトン)/Aristotle (アリストテレス) を中心としたGreek philosophy (ギリシャ哲学) を、日本に (主体的に) 吸収/定着させる上では、最も望ましい形だと言えるでしょう。
こうして拡張神道 (希臘神道) とAkeionは、別物でありながら、かつての神道と仏教の関係のように、一部で繋がりつつ、相互補完的な関係となります。
そしてこれは、上述したように、思想の「3本柱」「三哲」体制を完成させることになり、これまで「仏教」と「儒教」の2本柱でやりくりして来た日本/東Asiaの思想史を、補強/補完し、完成へと至らしめることにもなる訳です。
(※ ちなみに、「3本柱」「三哲」の内、日本社会と深く密接に関わっている仏教に関しても、それが持続可能/発展可能なものとなり、日本社会の足を引っ張らずにその「発展の糧」となってもらうために、何らかの改革措置を講じていく必要があると言えるでしょう。
それに関しては述べると長くなるので、詳しくは「無上乗仏教」のpageを参照してもらいたいと思います。)
ついでに言えば、歌舞伎、落語、講談といった古典芸能、あるいは宝塚や他の劇団でも良いですが、そうした芸能の担い手の一部でも良いので、Greek mythology (ギリシャ神話) やPlato (プラトン) の対話篇などを、定期的に扱ってもらえるようになると、それらの吸収/定着もより強固なものになりますし、それらの芸能も公共性が増すことになり、win-winの関係を築いて行けるようになると思います。
こうしてGreece (ギリシャ) の文化/思想を「自分のもの」として取り込むことで、India (インド)、China (中国)と共に、「世界3大思想圏」「世界3大哲学圏」のそれを取り揃えることができ、ようやく日本文明は、そのpotentiality (潜在力) を活かす/発揮することができる、一応の
- 「完成形」「一人前」
へと、至ることができます。
ここに現代的に、(「世界3大思想圏/哲学圏」を継承した、その発展形としての) PSDも加えた形で表現すると、下図のようになります。
(※ また、こうして「普遍的な文明」としての基本的な骨組みを完成させ、特に上記したように、Greece (ギリシャ) との習合において、
- Demiurge (デミウルゴス)/不動の動者-アメノミナカヌシ
を頂点とする (さらには、そこにPSDも加えた) 枠組みを、完成させておくと、将来、Christianity (キリスト教)/Islam (イスラム教) といった中東一神教を拝する移民が増えてきた場合でも、拡張/調和/共存が容易になります。)