集団的性格分け/役割分担について
日本の「集団的性格分け/役割分担問題」とは、「和と直」「LocalとGlobal」「NormalとAbnormal」といった「集団的性格分け/役割分担」(についての共通認識/共通感覚の醸成/確認) が明確に為されていないせいで、日本(人)全体が一般的に「和/保守/Local/Normal」側にばかり偏り、何事にも消極的になる傾向を持ってしまいがちで、そのせいで様々な面で国際競争や発展が妨げられてしまいがち、という事態を指します。
まあこうした問題は、事情や条件は違えど、日本に限った話では無く、どの地域・国にも発生している (し得る) 問題とも言えますし、その偏り方も常に同じという訳ではないので、結局は「両極のbalanceを、皆で常に意識的に取っていきましょう」という話に尽きます。
これに関しては何らかの措置を講じたり、platformを用意するといった必要は無く、単なる注意喚起、確認、意識付け、意識共有の類で十分でしょう。
- ◾️おまけ:「和と直」に関して
なお、日本人が「和」に偏りやすい理由の1つが、それが「大和/やまと/Yamato」という形で、民族identityと結び付いているからです。
そこで、「和」や「直」やその周辺・関連の概念や、「やまと/Yamato」概念との結び付きを検討することで、日本人の意識を広げるような話も、ここで少し付け加えておきたいと思います。
まず、「直」「和」絡みの概念の整理をざっくりすると、自分(達)が持っている「理」や「情」に対して、他者との関係の中で、どのように振る舞うかという態度・姿勢によって、「直」「和」「余」に分けることができます。
これが「直」と「和」の関係の基本ですね。
そして、「直」を支える「理/義」(目的論/義務論)、その宛て先となる「究極目的/究極義務」も併せて図示すると、下図のようになります。
さて、そんな「直」「和」ですが、戦後日本では、軍国主義の反動や、極左に対する懸念、まともな思想・目的論の欠如などによって、短期的・局所的な商業的熱狂を除けば、下図のような「和まんじゅう」の消極性・保守性に流れてしまいがちです。
もちろん、日本だけに限った傾向ではありませんが。
これを、PSDのようなまともな目的論へと振り向ける形で「直」を盛り立てつつ、「直-和」間の「中庸」も意識させておく、といった下図のような「火山型」の本来あるべき健全・適切なあり方へと移行・再構築させていくことが、日本のみならず、世界全体/人類全体としても、望ましいとSHでは考えます。
最後に「やまと/Yamato」絡みの話ですが、上述したような「直」「和」絡みの多様な概念や、その類似概念に、「大〇 (やまと)」といった表記・呼称を付与することで、「やまと/Yamato」概念と日本人のidentity感覚を、拡張することが可能になりますし、より一層の自由闊達さや活力も、獲得できるようになるでしょう。
例えば、以下のようになります。
- 「目 (大目)」 --- 「目」(もく/め)/「大目」(だいもく(たいもく)/めのやまと/まなこのやまと)
「的 (大的)」 --- 「的」(てき/まと)/「大的」(だいてき(たいてき)/てきのやまと/まとのやまと)
「命 (大命)」 --- 「命」(めい/いのち)/「大命」(だいめい(たいめい)/めいのやまと/いのちのやまと)【使命/天命】 - 「理 (大理)」 --- 「理」(り/ことわり)/「大理」(だいり(たいり)/りのやまと/ことわりのやまと)
「義 (大義)」 --- 「義」(ぎ/よし)/「大義」(だいぎ(たいぎ)/ぎのやまと/よしのやまと) - 「直 (大直)」 --- 「直」(ちょく/なおり)/「大直」(だいちょく/ちょくのやまと/なおりのやまと)
「激 (大激)」 --- 「激」(げき/はげし)/「大激」(だいげき/げきのやまと/はげしのやまと) - 「和 (大和)」 --- 「和」(わ/なごみ/やわらぎ)/「大和」(だいわ/わのやまと/なごみのやまと/やわらぎのやまと)
「混 (大混)」 --- 「混」(こん/まざり)/「大混」(だいこん/こんのやまと/まざりのやまと)
「多 (大多)」 --- 「多」(た/おおし)/「大多」(だいた/たのやまと/おおしのやまと) - 「余 (大余)」 --- 「余」(よ/あまり)/「大余」(だいよ/よのやまと/あまりのやまと)
- ◾️おまけ2:「Politeia (政体) とHarma (馬車・戦車)」
また、ここで述べてきた「集団的性格分け/役割分担」、特に「保守性と刺激/短絡性/革新性の両立」と、PSDやその起源であるPlatonismにまたがる領域の、実践に関わるちょっと深い話も、ここでついでに述べておきたいと思います。
「(集団的/個人内面的) 性格分け/役割分担」を、Plato風に表現すると、Politeia (政体) とHarma (馬車・戦車) という2種類の表現の仕方があります。(それぞれ中期の作品『Politeia』『Phaidros』で用いられた表現であり、どちらも「理知」「気概」「欲望」から成るPlatoの魂の3区分に対応する形になっています。)
そして、前者のPoliteia (政体) が、「理知」が上部に来て支配するpyramid型/rocket型/神輿型の、やや「静的・保守的な型」になっているのに対して、後者のHarma (馬車・戦車) は、「気概」「欲望」の馬が引っ張る馬車 (戦車) に乗る「理知」が、御者としてそれを制御するという「動的・革新的な型」になっています。
したがって、これらを用いて、「刺激/短絡性/革新性と保守性」「競争力/貪欲さ/発展性と安定性」を両立した、集団的発展主義の実践において望ましい、「理想的なhybrid型」を表現すると、下図のように「理知」の部分で結合した「砂時計型」のHarma-Politeia (HP) になります。
こうしたimageを自己の内に持っておいてもらうと、個人としても、集団としても、実践において、力を絶えず発揮して刺激的に前進・革新し続け (停滞を回避し続け) ながらも、暴走せずに安定し続けることができるという、良いperformanceを持続させていけるようになるでしょう。