PSDについて
PSDとは、Physicalistic Secularistic Developmentalism (物理主義的 世俗主義的 発展主義) の略で、その名の通り、
- Physicalism (物理主義) - Physicality (物理性)/Natural Science (自然科学) の尊重
- Secularism (世俗主義) - Secularity (世俗性)/Actuality (実態) の尊重
を前提とした、
- Developmentalism (発展主義)
のことです。
(※ 長ったらしいので、この発展主義/発展主義者は、「Dev (ディヴ)」 等と略称してもらうと良いでしょう。)
(※ これを政治党派として表現するならば、「Dev Party」(発展党) ということになりますし、相対的な思想の立場取りの表現で言えば、
- 「右翼/Right」(伝統主義)
- 「左翼/Left」(平等主義)
- 「中道/Center/Middle」(自由民主主義)
に対して、分かり易いように、
- 「上翼/Upper」
と自称しています。したがって、
- 「右」にも「左」にも「中」にも配慮した「上」
が、我々「Dev」(発展主義/発展主義者) の基本的な立場取りです。)
(※ また、「右」(伝統主義) でも「左」(平等主義) でもなく、「上」(発展主義) こそが本質的/正当な「真正のnationalism」である、という観点から表現すれば、
- True Nationalism (真正ナショナリズム)
という言い方もできますし、現在及び将来の近代科学/近代社会の変化/発展にも対応/共存し続けられる、「近代仕様の目的論/宗教性」という観点から表現すれば、
- (True) Modern Religion ((真正) 近代宗教/現代宗教)
といった言い方もできます。)
言い換えると、
- 「全知全能への可能な限りの近接」
こそが「人類共通の究極目的/究極義務」であるという共通了解の下、科学的/技術的/知的/社会(集団)的/倫理的 に、それを可能な限り達成していこうとする思想態度 (目的論/義務論) (とそれに基づく集団的 (共同体的) 実践) のことです。
色々と細かな話は端折りますが、近代における (国家対立/民族対立/宗教対立/個人主義化/少子化といった) 人類の思想的/社会的な混乱/迷走の原因は、詰まるところ、
- 「発展し続けるNatural Science (自然科学)/Ontology (存在論)」と調和し続け、同時に、
「過酷に変動し続ける市場経済/自由民主主義 (の環境)」にも対応し続けながら、
「人類 (人間社会) の維持/発展」を支え続けていけるだけの、人類共通の「妥当なTeleology (目的論)/Deontology (義務論)」と、それに基づく「共同体」の欠如
にあります。
(17世紀にHobbes (ボッブズ) やLocke (ロック) が、個人性を擁護するNatural Rights (自然権) と対になる、社会性を擁護するNatural Law (自然法) の内容として、このPSDのような目的論/義務論 (自然目的/自然義務/自然使命) を提示してくれていれば、人類は余分な回り道をせず、もっとすんなりと先へ進めたはずです。しかし実際は、時代的な制約もあり、彼ら以降の思想家のほとんどは、「平和」「公平性」「人格」といった的外れなものを、Natural Law (自然法) の目的として主張しました。さらに19世紀半ばからは、「脱思想化」「自然科学の真似事 (社会科学)」の流れもできてしまいました。その結果、人類は近代以降、今日に至るまで、思想的/社会的に混乱/迷走し続けている訳です。)
それを、何百年後遅れかで、ようやく正常な形に修正し、終止符を打って、いい加減人類を新しい段階/高みへと進めようというのが、このPSDの思想であり、活動です。
PSDの一応の思想的起源としては、Plato (プラトン)/Aristotle (アリストテレス) とHegel (ヘーゲル) の3名を、挙げることができます。上記したような、
- 「全知全能への可能な限りの近接」という究極目的を、知的/技術的/実態的/集団的/社会的に達成していこうという(発展主義的)目的論
や、その前提/根底/背景にある、
- 「地球上の最高等知的生物」として生まれ落ちてしまった我々人類は、そういう形でしか、「本当の充足/幸福」を得ることはできないという発想/幸福論
は、基本的に彼らの系譜にしか見出されないからです。
(※ こうした思想的立場を、端的に表現するならば、
- 集団的発展主義 (Collective Developmentalism)
ということになりますし、よく誤解/混同されがちですが、
- 個人的 (知的/内面的) 発展主義 (Individual (Intellectual/Inner) Developmentalism) ←→ 集団で (客観性/物理性/科学性/技術性を含む) より大きく高度で持続的な発展を志向。
- 理性主義 (Rationalism) ←→ 理性/論理は手段、発展こそが目的。
- 禁欲主義 (Asceticism) ←→ 発展 (目的) 以外の優先度の低い欲望が、派生的に抑制されることはあっても、禁欲自体は目的ではないし、むしろ発展 (目的) だけは大いに欲望しなくてはならない。
- 全体主義 (Totalitarianism) ←→ 個人性/個別性を尊重。
の類とは、明確に区別されなくてはなりません。)
(※ こうした、
- 「究極目的 (全知全能)」の下に結束した、
集団的発展主義 (Collective Developmentalism)
という思想的立場が、どうして最も優れているのかというと、結局のところ、(個人としても、集団としても) 人間にとって最も重要な能力は、
- 「結束」と「調整/修正」
という2種類の能力な訳ですが、それを最も持続可能 (sustainable) な形で両立/保持/生成/強化し続けられる (そしてそれゆえに、最も存続/発展/繁栄し続けられる) 思想的立場が、正にこれだからです。)
しかしもちろん、時代的な制約もあり、今日から見れば、彼らの思想にもおかしな点はたくさんあります。そこで、上記したような(発展主義的)目的論の部分は引き継ぎつつも、今日的な形に合うように、PSDのような形で再構築する必要がある訳ですね。
そういう訳で、PSDは、これらの系譜を引き継ぐ、
- Contemporary/Revised Hegelianism
(現代/修正ヘーゲル主義) - Contemporary/Revised Aristotelianism
(現代/修正アリストテレス主義) - Contemporary/Revised Platonism
(現代/修正プラトン主義)
としての性格も、帯びていると言えますし、そうした切り口で説明した方が、理解/受容してもらい易いような場合には、積極的にそうしていくことになります。
(また、もう少し広い視点で見ますと、文化についてのpageでも述べているように、上記したPlato (プラトン)/Aristotle (アリストテレス) を中心としたGreek philosophy (ギリシャ哲学) とも内容的に関連し、世界史/人類史上の「世界3大哲学」(三哲) を形成/構成してきた、また、日本(人)においては歴史的/伝統的に馴染みもある、
- Indian philosophy (インド哲学)
- Chinese philosophy (中国哲学)
もまた、「三哲」の枠組みを通じて、(間接的/補強的にではあれ) 上記したPSDへの流れの中に、関連付けることができますし、日本文明/日本民族は、その言語的/文化的/歴史的条件ゆえに、そうした、
- 「三哲からPSDへ」
という世界史/全人類史上の重要な流れを、(世界に先駆けて) 統合/実現/体現し、基礎付け、全世界/全人類に普及させて行くのに最適な文明/民族であり、日本人には、是非ともその自覚/使命感を、持ってもらいたいと思います。)
ちなみに、念のため断っておきますが、我々はPSDが全人類に信奉されるべきだと考える全体主義者ではありませんし、公益性も考慮して、人間社会には「個人性/自由放任性」を尊重する領域が、確保されるべきだとも考えます。(そうした領域で、好き勝手/奔放に、個人主義的に生きる人々を、「浮動層」と我々は呼びます。)
しかし他方で、そうした個人主義/放任主義だけでは、人間社会は成り立っていかないのも厳然たる事実です。
したがって、実際問題、人間社会を維持/発展させ続けていくためには、PSDのような、「全知全能への可能な限りの近接」といった究極目的/究極義務 (目的論/義務論) の下に結束/繁殖/役割分担し、社会的安定/正統性を重視しつつも、柔軟かつ合理的/革新的に時々の課題に対処していける発展主義的/集団主義的な人々、言わば「基盤層」が、社会の多数派として、中心を占めている必要があります。
このように、多数派/中心を占める「基盤層」と、辺縁の「浮動層」というhybrid (混成) 構造を創り、人間社会を存続/発展させ続けていくために、PSDはどうしても必要になる訳です。
なお、このPSDは、「思想/主義 (目的論/義務論)」とも表現できますが、(自然科学と調和した、人類共通の)「近代宗教/現代宗教/Meta宗教」とも表現できますし、「集団的社会実践」を重視し求めるという点では、後者の表現の方が似つかわしい/相応しいとも言えます。
そこで最後に、そんな「宗教」としてのPSDのsymbols (象徴) や、祈りのchant (詠唱) についても、少し述べておきたいと思います。
symbols (象徴) としては、左下の「FRAME」や「LIGHT」が基本ですが、Plato (プラトン) 思想に由来する中下の「FORM (POLITY)」や、「体質」の話題で出てきた右下の「CHOK-WA」等も、PSDの趣旨に合致していて中々良いでしょう。
chant (詠唱) の言葉としては、
- 「全き 充しへの 道と共に」【一般用】
(まったき みたしへの みちとともに/MMM)
(On the Way to the Perfect Satisfaction/OWPS) - 「全き 主への 道と共に」【Theist (有神論者) 用】
(まったき あるじへの みちとともに/MAM))
(On the Way to the Perfect Lord/OWPL)
のいずれかを、推奨します。
(※ もう少し長尺のものとしては、
- 「全き充しが 我々を 正しく導いて 下さいますように」【一般用】
(まったき みたしが われわれを ただしく みちびいて くださいますように) - 「全き主が 我々を 正しく導いて 下さいますように」【Theist (有神論者) 用】
(まったき あるじが われわれを ただしく みちびいて くださいますように)
といったものもあります。)
日本においては、別pagesで述べられているような言語的/文化的条件を取り揃えた上で、こうした真理/信仰/理念/論理/実践の「道」(真道/信道/理道/論道/実道) を、世界に先駆けて確立し、その「礎」となり、普及させていく役割が、期待されています。